ラブライブ! スーパースター!!放送に際して

劇場版スタァライトにおける観賞の敗北は、読解力の敗北であった以上に、私の若い妄想力の敗退であった。私の解釈能力が幾原邦彦の血を引く作品に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私は身を以て体験し痛感した。

オタク文化の摂取にとって、ラブライブ!以後八年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、オタク特有の作品解釈体制を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富むオタクとして自己を形成することに私は失敗して来た。そしてこれは、自分なりの解釈もそこそこに外部の解釈を眺めて感心する、観劇方法の責任でもあった。

二○二○年以来、私は再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が解釈体制に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。ういおは、このような個人の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに誕生以来の念願を果すべくラブライブ!スーパースター!!を観賞する。これまで摂取したあらゆるアニメ小説学術書の類の表現と知識を援用し、混み入ったを脳内良心的編集のもとに、長々と、そしてキモイ絶叫とともに、多くのひとびとに提供しようとする。しかし私は徒らに百科全書的な知識のジレッタントと成ることを目的とせず、あくまで自己の観賞に秩序と再建への道を示し、この観賞をういおの栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。多くのラのオタクの愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。

二○二一年七月十一日