世界の片隅にあなたがいるということ

バーチャル美少女依緒ちゃんです。これはうんこしてたら思い付いたタイトルです。

オタクもすなる聖地巡礼といふものを、バーチャル美少女もしてみむとて、するなり。

でもね、家からあんまり遠出はしたくないんですよね。なので都内のみ。まぞくの聖蹟桜ヶ丘か、虹ヶ咲のお台場のどっちに行こうか迷ってます。(まだ行ってない)

ところで聖地巡礼って何がいいんですかね。

オタクの聖地巡礼というのは、モナ・リザを一目見ようとルーヴル美術館に足を運んだり、イスラム教徒がメッカに押し寄せたりする時の、その巡礼者の感情とはまた違うものを持っている気がするんですよね。

空間共有性。キャラクターと空間を共有しているという実感。オタクはそんなものを食べて生きています。医師国家試験を受ける人はぜひ覚えておきましょう。

フィクションのキャラクターと空間を共有した、という実感を抱いたとき、少なくとも私(依緒ちゃんの一人称は私です)はえも言われぬ感情に襲われます。これをエモさと呼びます。

 

最初にはっきりと意識したのはこの時でした。

 

 

このツイートが原作者に共感していただけたり、早川のツイ廃編集者にもRTされたりと、うひー!となっていました。かわいいね。

 

自分が見知った場所にフィクショナルなキャラクターが訪れていた可能性。ふと、そこに彼女らが存在していたことを夢想すると、なんだか現実と虚構の境目がふやけてくる気がします。一回でも体験してしまうと癖になるような、曖昧な快感。このような、認識の狂いによる快感は、意外と日常に深く根付いています。

推理小説などのどんでん返しで、今までの前提が全てひっくり返される感覚。自分は割と癖になってます。野崎まどを読め。

真面目な委員長がギャル堕ちするのに興奮する性癖。自分の記憶上の真面目な委員長と、眼前のなんかめちゃくちゃ下品なギャル(語彙力)。その二つの間の齟齬が、認識を狂わせ、更には快感を引き起こしているのかもしれません。

NTRやギャップ萌えといった性癖も、上のような知識と実体の差から生まれる認識の狂い、そしてその認識の狂いから生まれる快感によるものかもしれませんね。

そこまで考えると、覚醒剤がちょっと気になってきます。人に幻覚を見せる効果と、人の気分をハイにする効果。気分がハイになったから幻覚を見るのか、もしくは認識の狂いから快感が生じるのと同様に、幻覚を見たから気分がハイになるのか。はたまた全然別々の作用なのか。

普通に考えると覚醒剤に含まれる化学物質の作用に『気分がハイになる』と『幻覚を見る』の二つがあるってだけなんですけどね。

 

さて、聖地巡礼の話に戻りましょう。

オタクとかいう生物は空間共有性を食って生きていると描きましたが、ちょっと訂正。食べているのは空間共有性というより、空間共有可能性かも。

彼女らが、そこに居たかもしれないという感覚。フィクショナルキャラクターの存在を強く実感するよりも、そこに存在したかもしれないという曖昧な妄想が、より認識の狂いを引き起こすというのは、感覚的にしっくりくる人もいるでしょう。

バーチャルサイゼでバーチャルコーヒーがぶ飲みしながら勉強していたある日、私は何の前触れもなく襲いかかってきた可能性の洪水に溺れました。

ファミレスは人間模様の坩堝です。CoCのTRPGみたいに邪神絡みの事件に巻き込まれて、どう行動するか話し合っている学生の集団がいるかもしれません。二人きりで駄弁っている女子高生は、何らかの百合漫画の登場人物かもしれません。いや、そもそもファミレスというのは、普遍的な"場"です。

好きなアニメ・漫画・小説を思い浮かべてください。

その舞台設定が現代日本ならば、あなたがファミレスにいる時、その作品のキャラクターとの空間共有可能性はかなり高いでしょう。

想像してみてください。あなたが思い浮かべた作品、それに登場するキャラクターがそれぞれが何を注文するのか。そもそも誰と来たのか。行儀がいい人悪い人。ドリンクバーで色々ぐちゃぐちゃに混ぜるかどうか。話の内容。足をパタつかせたり、ストローの袋を丸めたり。

ファミレスがあっという間に任意の作品の聖地に様変わりします。

この妄想を上手いこと使えば、場所を問わず、世界のどこでも、存在しない聖地に巡礼できるかもですね。もはや聖地巡礼と言うよりかは、そこにキャラクターが存在していたらっていう妄想ですが。

訓練を積むことによって気合いで現実を上書きできたら最強ですよね。無敵の人、なりて~~~!!!

 

P.S. サイゼの辛味チキン大を食べると豪族になった気分になる。